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ギタンギタン

 会戦後の2時間のにらみ合い。その後の局所的な戦闘。その他の日和見大勢。戦力の拮抗していた「 関が原の戦い 」は、西軍の小早川秀秋の裏切りによって電撃的に決した、、、というのが定説である。彼の裏切りに呼応するかのように、いくつかの部隊が東軍に寝返った。事実はどうか知らないが、少なくとも、全軍の当初の日和見的な行動を「 あぁ。皆、勝ち馬に乗ろうとしてる! 」と庶民は解釈したことだろう。私達は常に勝ち馬に乗ろうとする。「 損得勘定 」で生きる傾向がある。だからこそ、そうではないもの(もしくは、そう見えなかったもの)に対して、深い憧憬を抱く。

例えばそれが「 新撰組 」だろうし、ベタな所では「 忠臣蔵 」の世界だろう。

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 その後に作られた300年の平和は、文字通り「 出る杭は打たれる 」社会で、世の中を一転させるようなイノベーションが求められた社会ではない。信長を筆頭とする戦国時代がそういう社会で、その否定から始まっているのだろうから当然だろう。しかし、この300年の平和が、いわゆる日本人の基礎を形成しているらしいから、

現代もそういう傾向があって然るべきだろうと思う。

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 我輩自身に関しても、久しくそういう傾向がある。例えばスマホに関してもそうだし、Ipadに関してもそうだ。「 まぁ、流行ったら 」。「 これを普及させて新しい世界を! 」などとは思わない。これ要するに信仰の世界の類型であって、構造的には宗教を普及している状態と変わらない。もちろん我輩は宗教に対する偏見があるわけではないが、こういう感性は信長(一向宗)や江戸時代(島原)に否定され、江戸時代に固定化されているから、こういう方向では日本人は動くことは無いだろうし、

そういう発想が出てくることもないだろうと思う。

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 「 損得勘定 」というとネガティブな印象があるが、少なくとも「 状況を作り出す 」のではなく、「 その場の状況に対応する 」とは言い換えられると思う。それが行動原理だとすれば、維新の時に「 小早川秀秋が裏切った 」かのように華麗に変わり、脱原発をはじめとするこの種のデモを、「 関が原 」のように冷ややかな目で日和見するのも、そういった方向で説明はつく。

木造建築で例えたって構わない。

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 社会というものは、同じ考え方の人たちで形成されているわけではない。しかし、ある区分である傾向があるのは事実だろう。若者は「 変化 」を求めるだろうし、老人は「 変化 」を求めない。であるならば、人口に若者の占める割合が多い時は、変化の兆しが多い時だろうと推測できる。かつての学生運動なんてぇのは、そういう典型だろう。そして、いつしか「 小早川秀秋が裏切った 」かのように「 その場の状況に対応 」して収束し、原理的に動いていた人たちは、不幸な末路を迎えたのである。まるで、

八百万の神々によって、同化しない異国の神が追い出されるように。

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 インターネッツの世界でギタンギタンにやられている感のある日本だが、実は結構そうでもないらしい。やられているのは事実だが、世界的に見れば、案外、健闘しているのかもしれない、、、ということだ。未だ日本では、mixiはfacebookよりもシェアは高く、楽天はアマゾンよりもシェアは高いようだし、「 日本語でやることが面白いので日本でしかやりません 」宣言をするニコ動もある。

ヨーロッパは、まさにギタンギタンだそうです。

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 しかし、やはりイノベーションは日本からは生まれてない。生まれていても育ってはいない。イノベーションは、過去の否定から始まるのだろうから、逆説的には「 私達は幸せであったし、今もそうだ 」と宣言しているに等しい。日本にイノベーションがあるとすれば、むしろ逆の

ここ(過去の肯定)からだろうと思う。

(2011年06月15日)

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