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神々の微笑

時は戦国時代、キリスト教布教に訪れた宣教師の一人、オルガンティノと日本の神との会話。

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 「 やはり十字架の御威光の前には、穢らわしい日本の霊の力も、勝利を占める事はむずかしいと見える。~中略~やがてはこの国も至る所に、天主の御寺が建てられるであろう。

意気揚揚と歩むオルガンティノの前に、一人の老人が現れる。「 この国の霊だ 」と語る老人に、オルガンティノは十字を切り、呪文を唱える。だが老人はその十字に、少しも恐怖を示さなかった。

 「 あなたは天主教を弘めに来ていますね、

老人は静かに話し出した。

 「 それも悪い事ではないかも知れません。しかし泥烏須(デウス)もこの国へ来ては、きっと最後には負けてしまいますよ。

オルガンティノはこう反論する。

 「 泥烏須(デウス)に勝つものはない筈です。

 「 ところが実際はあるのです。まあ、御聞きなさい。はるばるこの国へ渡って来たのは、泥烏須(デウス)ばかりではありません。孔子、孟子、荘子、――そのほか支那からは哲人たちが、何人もこの国へ渡って来ました。しかも当時はこの国が、まだ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、呉の国の絹だの秦の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。いや、そう云う宝よりも尊い、霊妙な文字さえ持って来たのです。が、支那はそのために、我々を征服出来たでしょうか? たとえば文字を御覧なさい。文字は我々を征服する代りに、我々のために征服されました。 ~中略~ そんな事を長々と御話しするのは、御約束の通りやめにしましょう。つまり私が申上げたいのは、泥烏須(デウス)のようにこの国に来ても、勝つものはないと云う事なのです。

オルガンティノは口を挟んだ。

 「 今日などは侍が二三人、一度に御教に帰依しましたよ。

 「 それは何人でも帰依するでしょう。ただ帰依したと云う事だけならば、この国の土人は大部分悉達多(したあるた)の教えに帰依しています。しかし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。 ~中略~ 事によると泥烏須(デウス)自身も、この国の土人に変るでしょう。支那や印度も変ったのです。西洋も変らなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。………

その声がとうとう絶えたと思うと、老人の姿も夕闇の中へ、影が消えるように消えてしまった。と同時に寺の塔からは、眉をひそめたオルガンティノの上へ、アヴェ・マリアの鐘が響き始めた。

芥川龍之介

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美しい結び方。大好き。
カットされたらしいが、当初の結末は、「 最後の晩餐 」の壁画に描かれた使徒ペテロが、幻想に出てきた老人の姿となり、キリストまでも天照大神に変化して終わる、、、だそうです。

(2011年06月07日)

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