HOME > 駄文一覧 > 映画 靖国

映画 靖国

 今日、テレビ局の人が「 インタビュー 」と称して我が家に来た。ご存知の通り、ジャングルのような汚い我が家なので、撮影は控えるように懇願したところ了承を得、インタビューに臨んだ。
 後日思いがけず、そのインタビューが隠し撮りされ、テレビで公開されるという。
 しかもそのインタビューは、映像として使われるだけであって、音声は無し。いかに我輩の心が清らか~ (-.-;)y-~~~ であろうが、視聴者は皆「 ジャングルのような汚い我が家 」だけで我輩を判断するであろう。もちろんそういう面が我輩の心の中にも無いとは言わないが、それ「 だけ 」で構成されているわけではないことは、どんな事にも言い得る普遍的なことだと思われる。

------------------------------ ------------------------------

 寝耳に水な我輩は、テレビ局に抗議を行ったところ「 表現の自由 」と一蹴され、しかも、その映像を製作する為に、税金の一部が投入されていたらしい。まさに政府のお墨付きを得た格好であり、信用の置ける第三者が介在しているということで、見る人によってはその印象が我輩の全てに成り得る危険性をはらむ。
 そもそも「 約束が違う 」という事と「 税金の使途の適合性 」が抗議の発端であり問題の本質であって、誰が「  表 現 の 自 由  」という問題に摩り替えて報道しているのか知らないが、映画「 靖国 」の問題はそういうことらしい。

------------------------------ ------------------------------

 世間が何故にこの「 表現の自由 」に情緒的反応を示すのか、、、と考えれば、戦時中の「 大本営発表 」に対する偏見であり、敗戦のトラウマということなのだろう。
 それは兎も角、この情緒的反応によって、「 人は考えることをやめる 」らしい。

------------------------------ ------------------------------

 ともあれ、この映画は「 ドキュメンタリー 」という手法で描かれているらしく、「 ドキュメンタリー 」という手法の性格上、全ての人に許可を得ることは不可能であり、仮にそれを行えば、「 ドキュメンタリーのドキュメンタリーたる所以 」が無くなる訳で、考えてみれば「 ドキュメンタリー 」というのは、そういう「 テロリズム的な手法 」らしい、、、というのは、今更ながら気が付いたとこだ。

------------------------------ ------------------------------

 記録というのは事実であり、真実のただの一構成要素である。
 どんな天才的な人間であれ、全てのものをそのまま記憶し保持し続けるすることは不可能であり、人はこの記録という記憶を、ZIP形式なんだか、LHA形式なんだか知らないが、それらを再構成してイメージを作り出す(記憶の圧縮)ことにより、脳髄の容量を確保しているらしい。要するに複数のパーツを「 一つのパーツとして扱う 」ということであり、これがその人の持つ「 無意識の前提 」と成り得る事は否定し得ないことであるから、この「 記録の圧縮 」という「 編集 」で「 再構成 」されたものに対しては常に警戒するべきことであろうと思われる。
 そもそも、そんなことが皆にできるなら「 大本営発表に対する偏見 」なども生まれようが無いわけで、それが如何に困難か?ということは、それこそ仏典を持ち出すまでもないだろう。

------------------------------ ------------------------------

 この映画の是非に関しては、その「 ドキュメンタリー 」という性格上、判断を保留せざるを得ないし、その映画の内容を「 記憶の圧縮 」という「 編集 」で「 再構成 」するつもりもない。そもそも見てない以上、出来ないし。
 ただ少なくとも、文化大革命やチベットや天安門の事を、例えそれが中国政府の不利益な事であれ、「 中国政府の助成金 」でかつ、日本人監督が「 自由に作ることが出来ない 」以上、フェアじゃない気がするのだな。

(2008年05月08日)

このエントリーをはてなブックマークに追加

問合せとか要望とか