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ゲオルギオス

 男ならば、、、かどうかは知らないが、西洋画によくある「 神vs悪魔 」とりわけ、悪魔が描かれている絵画には心躍らせたものだ。教科書に掲載されていたラファエロの絵などは今でも鮮明に記憶に残っている。言うまでも無いことだが、30年前の我々のこの感覚が、ドラゴンクエストなど数あるサブカルチャーに昇華しているわけだ。
 調べたものもあるが、忘れたものも多い。特にギリシャ神話などは、何冊も読んだ記憶があるが、記憶に残っているのは断片だ。しかし、いわゆる「 ルネサンス 」時代の龍などが描かれた絵画の描かれた背景に関しては、不思議とスルーしている自分に気づく。そういうわけで「 龍と闘う聖ゲオルギウス 」について調べてみた。

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 ある村に龍が住み着き、村人を困らせていた。生贄を奉げることで難を逃れていたが、ある日、王妃を生贄にささげることになった。偶然通りかかった「 ゲオルギオス 」が、「 よし、私が助けてあげましょう 」と出掛けていった。首尾よく龍を倒した「 ゲオルギオス 」は、その龍に首輪をつけて村へ戻り、

キリスト教徒になると約束しなさい。そうしたら、この竜を殺してあげましょう

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 いわゆる。アーキタイプなのだろう。素戔嗚尊の「 八岐大蛇の話 」と酷似している、、、が、どうにも解らないのが最後の一文。この商売じみた感覚が、我輩にキリスト教不審を抱かせる一因に違いない。しかし、よくよく考えてみると、素戔嗚尊が引き換えにしているのは「 櫛名田比売 」という嫁さん。対して「 ゲオルギオス 」は、彼自身にとっては一文にもならない「 信仰 」。

日本人が広報ベタなのは、布教の経験がないからだ!

とは、まことしやかに囁かれることだが、こういうところにその一端が現れているのかも知れない。同時に「 受け入れないなら、死んでね! 」というヤクザまがいのこの駆け引きが、神の名のもとに正当化される感性!この感性がない限り、日本は永遠に、局地戦には勝利しても戦略的には勝利することはできないのではないかとさえと思う。しかし、はたして、その感性を得た日本を「 日本 」と呼ぶことが出来るのか、甚だ疑問ではある。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を

(2012年07月22日)

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