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広島市民球場

 前々から噂はあったが、広島市民球場がとうとう移設されるらしい。これについて、市民の意見はどれほど尊重され、どれほど真剣に考えていたのか知らないが、吾輩自身の意見としては、とても残念でならない。

 渋谷のど真ん中(109の隣)に球場があると想像してくれればいい。

 おそらく老朽化が一番の理由だと思われるが、そもそもなんで移設しなければいけないのだろうか?

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 今から60数年前、原子爆弾が投下され、壊滅状態に陥った広島。60年は草も生えない、、、と思われていた当時の風評から思い起こすと奇跡的とも言える回復だと思う。

 ともあれ「 復興 」ってなんだろう?

手っ取り早く言えば「 都市化 」なのだろう。その都市化に必要なものはパン職人なわけがなく、もちろん建設職人なわけで、つまりは「 大量の建設職人 」を抱えたことだろうと思う。それが日本全体の高度成長とともに、更に建設職人が必要なわけで、それこそ雪達磨式に膨れ上がっていったことだろう。
 さて問題はここからで、どんな職業でもそうだが、異業種に転職することは並大抵のことではない。特にその業界に特化した特殊技術をもつ業種なら、尚更のことだろう。だから建設職人は、いつまでも建設職人でい続けるわけで、つまりはその「 会社を維持しようと思うなら 」建設の仕事を作りつづけなければいけない。必要なのは「 建設すること 」ではなく、「 建設職人を食わせること 」になる。
 本来、「 建設する 」という目的のために「 建設職人 」がいるのであって、「 建設職人を食わせる 」ために「 建設 」という仕事があるわけではない。コレに対しては、主観をどこに置くか?という問題である為、万人にとって、、、という普遍的な性質のものではない。ただ「 建設業界外の人 」という視点から見ると、まぎれもなく必要の無いものを作っているようにしか見えない。
 急激な変化の後には、必ず「 余剰 」を抱えることになる。それが人なのか、モノなのか、精神的なものなのかは、状況によって違うだろう。それが何であれ、この「 余剰 」をどう処理するのか?というのが、どういう状況であれ、いつも付きまとう問題のように見える。

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 「 西郷隆盛 」は渋谷のハチ公の飼主ではない。それはともかく、1877年の「 西南戦争 」で散っていった傑物である。

 一般的には「 士族中心の政府の擁立

という目的のために起こされたと言われる同戦争。彼が真剣に「 政権転覆 」を図ったのであれば、その後の行動があまりにもおかしい。
 もし徹底的にその目的を完遂する意図があるならば、まずは海路を用いて江戸に進撃するべきであろう。それが一番手っ取り早く効果的で、戦闘のプロである「 西郷隆盛 」が、それを思いつかないわけは無い。そのプロ中のプロたる西郷が何故、

士族中心の政府の擁立 」というその目的のために、なんのメリットもない熊本城なんぞを「 いの一番 」に攻めたのか?

 西南戦争の発端は「 征韓論 」での明治政府との意見の相違であったという。建て前は色々あろうが、要するに維新という急激な変化によってできた「 余剰 」をどう処理するか?という問題であろう。もし彼が、西南戦争においてその「 目的 」を失っておらず、開かれる「 新しい日本 」に希望を失ってなかったならば、、、。

 彼の最後の言葉は「 もう、ここらでよか、、、。 」だったらしい。

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 ともあれ、広島市民球場は移設される。
 地元の友達は軒並み、建設業界に職を持つ。
 さてこれは「 余剰 」なのか、はたまた「 適度 」なのか?

 難しい問題だぬ。

(2008年08月06日)

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