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1045年:【武道】合気道の祖、新羅三郎義光うまれる

 新羅と関係あるわけでなく(遠因にはあるが)、「 三井寺の新羅善神堂で元服 」したため、「 新羅三郎義光 」と呼ばれる。ちなみに兄の義家は「 八幡太郎義家(岩清水八幡宮で元服) 」。義綱が「 賀茂二郎義綱(上賀茂神社で元服) 」。
 三井寺では、中興の祖である円珍が唐からの帰国の際、船中に「 新羅明神(新羅の人々が信仰していた)が現れ 」、そのお告げによって、「 新羅明神を祀る 」ようになった。
 また、父「 源頼義 」が、「 前九年の役の戦勝祈願 」で新羅善神堂を訪れた。そういう縁起もあって、ここで元服したらしい。

平塚の碑:後三年の役からの帰途、付近で野営をしたが、盗賊の襲撃をうけ多くの部下を失った。その際、塚を築いたが次第に忘れ去られる。先の大戦時、このあたりを整地すると、鎧兜や武器が多く出土したらしい。その後、付近の住民に不吉なことがおこったため、「 義光のタタリではないか? 」と噂され、碑が建てられる。(5月3日に慰霊祭)

(2014年07月09日)

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