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1179年:【祟り】崇徳院の怨霊が清盛に乗り移る(後白河法皇幽閉

 清盛は、大軍を率いて京に入り、後白河法皇を幽閉。同時に「 以仁王 」も所領を没収される。
 崇徳院の怨霊が、後白河の御所に入ろうとするが、「 不動明王 」と「 大威徳明王 」の結界に守られていたため断念。かわりに清盛の屋敷に入り、清盛に乗り移る。
 平氏優先の政治が営まれるようになった結果、「 興福寺 」後白河と懇意な「 園城寺 」や、地方の武士の反発を招く。

大威徳明王(ヤマーンタカ)は悪鬼と化した修行僧を折伏するために文殊菩薩が変化した。
(ある修行僧が悟りを開く直前に水牛と共に盗賊に殺され、怨念すさまじく、水牛の頭を自分につけて盗賊を皆殺し。怒りはやまず、無差別に殺し始めた。この時、文殊菩薩が、大威徳明王(ヤマーンタカ)に変化。
(6つの顔(六道(地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界))と6つの腕。6本の足(六波羅蜜(布施、自戒、忍辱、精進、禅定、智慧))を持つ
(京都の教王護国寺に像がある。
ちなみに「 明王 」とは、如来・菩薩の次に来る分類名。通常の姿では教化し難い衆生を,屈伏させて教化するために忿怒の姿に変身したものだとのことだ。

(2014年07月19日)

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