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1358年:【祟り】新田義興、計略にはめられ憤死

 父義貞の意思を次ぎ、南朝の復興に尽力する「 新田義興 」。勇猛果敢な義興に業を煮やした足利基氏(尊氏の子)は「 畠山道誓(どうせい) 」と共に、「 謀略によって義興暗殺 」を計画。
 義興の元部下である「 竹沢右京亮(たけざわうきょうのすけ)と江戸遠江守 」を引き込み、義興に近づけ、しきりに鎌倉攻めを進言。これをすっかり信用した「 新田義興は少数で鎌倉へ向かう 」。
 途中、矢口渡で渡し舟を使用。船頭は船に穴をあけて逃亡。対岸には、竹沢・江戸の軍勢。裏切りを知り「 憤慨した義興は一族郎党とも自刃して果てる 」。
 その後、

・悪計加担の「 渡し守は水死
・江戸遠江守は、「 七日七晩溺れる真似をして狂死
・足利基氏入間川領内に「 雷火
・竹沢・畠山は、「 足利基氏に攻められ流浪の末死ぬ
・「 矢口渡付近には鬼火 」が現れる。

この話をもとに、平賀源内が浄瑠璃「 神霊矢口渡 」を書く
(追われる身の義興の弟が船頭宅に宿泊。船頭は義興の弟を殺そうとするが、「 新田家伝来の聖なる矢 」が船頭を貫く、、、という話だということだ。これが破魔矢の起源らしい。

(2014年07月20日)

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