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1986年:【鎮魂】800年ぶりの再会。恋が崇徳天皇の御霊を鎮魂に導く

 京都のお茶屋「 吉うた 」の女将「 高安美三子 」さんが、「 崇徳天皇に憑依 」される。
 そもそも「 歴史嫌いでなんの知識もなかった 」が、崇徳天皇がらみの本を読むと、当時の状況が手に取るように解るようになったらしい。当時は、急に何も聞こえなくなったり、頭痛がしたり、怪異が続いたようだ。
 話さないことには、体の調子がおかしくなるため、来る人来る人に話したが、「 客は激減! 」以後、解る人にしか話さなくなると「 客足は戻る 」。
 1986年7月9日、「 ついに崇徳天皇が顕現 」。豪雨の中、

会いたかった 」「 どこへもやりたくない 」「 見ててやる

と女将に伝える。「 姿を見せて! 」と告げると、

天狗の姿になっているから、見せられない

との返答。

私は貴方の何なのですか?

と尋ねるも無言。状況から考えるとこの女将。崇徳天皇の愛した女性の生まれ変わりではないかということだ。
 そもそもこの女将。古くから、崇徳天皇と近縁だったらしい。

・母が言うには、お腹の中にいた時、「 明治天皇と昭憲皇太后がお腹を見て去っていった 」。
・白峯が神宮になった年、女将も生まれる。
・女将が崇徳天皇に憑依されたのが46歳。崇徳天皇の崩御の年が46歳。
・崇徳天皇御廟の近くで生まれ育つ。

当人はまったく知らなかったらしいが。
 その後、荒れていた御廟を再建(2007年)。毎月お祭りすると、さらに頻繁に現れたらしい。

・背中がどんなに温めても冷える。どうも崇徳天皇が荼毘に付される前、「 沙汰待ちで保存のために小川に浸けられていた 」らしく、それが解ってからは、それを想いながら温めると病状は回復した。

 そんなこんなあって、崇徳天皇への想いから「 女船頭 」という曲を作る。とある霊能者に見てもらうと「 怨霊という言葉を使って欲しくない 」とのお告げがある。能を作る話もあったが、作ろうとすると崇徳天皇が現れて、書いて欲しくないことを告げて消えていくらしく頓挫。
 先述の霊能者は、最後に、崇徳天皇からこのようなお告げを得たらしい。

死すとも恨み残してはならぬぞよ

 女将曰く、

もう怨霊は取れてはるんですわ。いい神さんになってはるから。

とのこと。

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ(崇徳天皇)

逢ひよりて時のへだたりすぎりとも 待つ春きたりしずのおだまき (高安美三子)

わが胸に崇徳の神のうつりあり 祭りてのちの春となるらむ(高安美三子)


参考文献:怨霊になった天皇 竹田恒泰著
http://www.slownet.ne.jp/sns/area/life/reading/interview/200607060945-3000000

(2014年07月22日)

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