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0593年:【祟り】物部守屋の怨霊、啄木鳥に化けて、四天王寺の破壊を試みる(四天王寺建立

 585年、敏達天皇が病に伏せ、蘇我氏は、病状回復のために仏教の信奉を要求。天皇はこれを許可するが、疫病が流行しはじめる。この原因を物部氏が「 仏教を信奉しているせいだ! 」と主張。一時、仏教の導入を中止。
 しかし、「 疫病はやまず、敏達天皇も崩御 」。葬儀の仕方で、蘇我氏と物部氏は衝突。双方、次期天皇を擁立していたが、物部氏が蘇我氏の擁立する「 泊瀬部皇子(崇峻天皇)の呪殺 」を試み、蘇我氏は物部氏が擁立する「 穴穂部皇子を誅殺 」。そして、物部氏が蘇我氏が対決する「 丁未(ていび)の変 」が勃発。
 劣勢であった蘇我側だったが、聖徳太子は、「 四天王に戦勝を祈願 」。見事勝利し、四天王寺を建立する。物部氏は怨霊となり「 数千羽の啄木鳥に化けて、四天王寺の破壊 」を幾度も試みる。

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物部氏の「 怨霊を鎮魂 」するため、「 四天王寺に彼を祀る祠 」がある(守屋祠)
四天王とは「 持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天) 」である。すべて「 雷神インドラ(帝釈天) 」の配下である。
物部氏の従者の捕鳥部万(ととりべのよろず)は、負けても徹底抗戦。ゲリラ戦に打って出るが敗北して自害。朝廷は、「 八つ裂きにして、首を串刺しにせよ 」と命ずるが、刑を執行しようとしたとき、「 雷が鳴って、大雨 」が降った。もちろん、これはタタリだと考えられた。
この後、捕鳥部万(ととりべのよろず)の飼い犬が、「 死体の首をくわえて墓に収めた 」後、そこから動かず、なにも食べず、「 餓死 」したらしい。「 朝廷はこれを賞賛 」し、捕鳥部万の子孫に、それぞれの「 墓を並べて作らせた 」らしい。

(2014年07月05日)

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