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1598年:【祟り】信玄/信長/秀吉を死に追いやり、善光寺如来のタタリ終焉(本尊「一光三尊阿弥陀如来」信濃へ戻る

 552年仏教伝来とともに、ご本尊「 一光三尊阿弥陀如来 」が日本に伝えられる。当時の百済では、「 聖明王 」が仏教を厚く保護。「 後に本田善光として生まれ変わり 」、善光寺を開く。
 物部氏は、蘇我氏の寺を破壊。火をかけるが、このご本尊「 一光三尊阿弥陀如来 」は燃え残り、難波の堀江(仁徳天皇が築いた運河)に投げ捨てる。
 後に聖徳太子が、連れ戻そうと試みたところ、如来は「 未だ時期にあらず 」と拒否。後年、「 聖明王の生まれ変わりである信濃の国司 本田善光 」が当地を訪れ、如来の声に従い、持ち帰って善光寺を創建(642年)。

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1555年:川中島合戦の折、武田信玄が、このご本尊「 一光三尊阿弥陀如来 」甲府に持ち去る、、、「 ほどなく死亡
1582年:信長が岐阜に持ち去る、、、三ヵ月後、「 本能寺の変にて死亡
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この後、信雄によって尾張。家康によって浜松へ本尊は持ち去られるが、「 如来のお告げを聞いた家康によって、甲府に移される 」。不思議とこの間にタタリなし。
 後に、秀吉が京都に持ち去るも、疫病が流行し始め、自身も病に倒れる。「 タタリを恐れた秀吉が、本来の場所、信濃へ戻すも、翌日、秀吉死亡。
 そして、善光寺には、「 守屋柱という柱があり、物部守屋の首がそこに埋められている 」らしい。善光寺本堂で手を合わせるということは、同時に、「 タタった物部氏を鎮魂する 」ことにも繋がるということだ。

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善光寺は京都の鬼門 」に建てられ、その延長線上には、諏訪大社と中尊寺がある。
諏訪大社の近くには、守屋神社がある。もちろん、物部守屋を祀ったものである。
諏訪大社のご神体は、守屋山である。
諏訪大社の神官は洩矢(モリヤ)家らしい。「 タケミナカタが諏訪を制服した際の先住民族 」だということだ。

(2014年07月06日)

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